東京地方裁判所 昭和47年(ワ)70376号 判決 1974年3月13日
原告 夏目商事株式会社
右代表者代表取締役 夏目喜八郎
右訴訟代理人弁護士 横山茂晴
被告 株式会社 新菱製作所
右代表者代表取締役 加賀美勝
右訴訟代理人弁護士 宇田川好敏
小幡正雄
主文
原告被告間の東京地方裁判所昭和四七年(手ワ)第一、一五二号約束手形金請求訴訟事件の手形判決を取消す。
原告の第一次請求を棄却する。
被告は原告に対し、金九、二九〇、五〇〇円及びこれに対する昭和四六年一一月一七日から完済まで、年五分による金員の支払をせよ。
原告の予備的請求中その余の部分を棄却する。
訴訟費用はこれを一〇分し、その九を被告、その一を原告の各負担とする。原告が金一〇〇万円の担保を供するときは、第三項について仮に執行することができる。
事実
原告は第一次請求として「被告は原告に対し、金一、〇〇〇万円及びこれに対する昭和四七年四月二八日から完済まで、年六分による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、予備的請求として「被告は原告に対し、金一、〇〇〇万円及びこれに対する昭和四七年四月二八日から完済まで(または金九、二九〇、五〇〇円及びこれに対する昭和四六年一一月一七日から完済まで)年五分による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求めた。
被告は各請求について請求棄却の判決を求めた。
(第一次請求の請求原因)
被告は別紙目録のとおり手形要件が記載された約束手形一通を振出し、右手形はその受取人三起工業株式会社から原告に裏書の連続がある。原告は右手形の満期に支払のための呈示をし、現在その所持人である。よって被告に対し、手形金一、〇〇〇万円と、これに対する満期から完済までの、手形法所定の利息の支払を求める。
(予備的請求の請求原因)
原告は昭和四六年一一月一六日前商事と称する金融業者から、別紙目録記載の約束手形の割引依頼を受け、同日割引代金九、二九〇、五〇〇円を支払って右手形を取得した。右手形の振出が被告の経理部長浅井寛の偽造であるとすれば、それは被告の被用者が被告の事業の執行に関して行なった不法行為であるから、被告は民法七一五条により原告の損害を賠償する義務がある。すなわち、浅井は被告の経理部長として勤務中、被告の約束手形用紙に被告代表者の記名印と代表者印とを押印し、これにそのころもしくは被告を退職したのち手形金額等を記入して本件手形を完成させたのであるから、これが同人の偽造であるとすれば、被告に使用者としての損害賠償義務があることは明らかである。原告は浅井の不法行為により、割引代金九、二九〇、五〇〇円及び本件手形が真正なものであればその満期に手形金の支払をうけることによって得られたはずの利益七〇九、五〇〇円合計一、〇〇〇万円の損失を被った。また原告は金融業者であるから、本件手形を買取らなかったならば、割引代金相当額の資金を別の取引に流用して、右七〇九、五〇〇円と同額程度の利益をあげたはずである。そこで被告に対し、損害金一、〇〇〇万円と満期の日である昭和四七年四月二八日から(もし逸失利益の賠償が否定されるときは、手形取得の日の翌日である昭和四六年一一月一七日から)完済までの年五分の法定利率による遅延損害金の支払を求める。
(第一次請求の請求原因に対する答弁)
本件約束手形を原告が所持していること及び原告が満期にこれを呈示したことは認める。被告が右手形を振出したことは否認する。尤もその振出人欄にある被告代表者の記名と代表者印の印影が、被告のゴム印及び代表者印によって作り出されていることは認めるが、これは被告の元経理部長浅井寛が、在職中被告の手形用紙にほしいままに押捺したものであって、同人は昭和四六年一一月五日被告から解雇された際無断でこれを自宅に持帰り、その後同人から交付をうけた小川圀彦が金額その他を記入して本件手形を完成したのである。したがって被告が手形金支払義務を負う理由はない。
(予備的請求の請求原因に対する答弁及び抗弁)
浅井寛が本件手形の振出を偽造したことは認めるが、その時期は同人が被告を解雇された後であり、本件手形が流通に置かれた時期も解雇後のことであるから、同人の不法行為について被告が使用者としての責任を問われる筋はない。かりに被告にその責任があるとしても、原告にも、右手形取得に際して振出名義人である被告に振出の真否を照会しなかった過失があるから、賠償額の算定に当っては、その過失が斟酌されるべきである。
(抗弁に対する答弁)
原告が振出名義人である被告に照会しなかったことは認めるが、そのこと自体は過失ではない。
(証拠)≪省略≫
理由
(手形金請求について)
別紙目録記載の約束手形の振出人欄にある被告代表者の記名印と代表者印が、被告のゴム印と代表者印によって作り出されたことは被告の認めるところである。しかし、≪証拠省略≫によれば、以下の事実を認めることができる。すなわち、昭和四五年六月から被告の経理部長の職にあった浅井寛は、同年八月旧知の金融ブローカー小川圀彦から、同人の営業資金に利用したいので被告名義の約束手形を貸してほしいと頼まれ、そのころ被告本社経理部事務室内で、被告の約束手形用紙の振出人欄に被告代表者の記名印と浅井自身の保管する代表者印とをひそかに押捺し、金額欄には小川の所望する金額を記入して、振出人被告名義の約束手形一枚を作成したのをはじめとし、その後同様の方法で毎月約一枚、金額一〇〇万円ないし一二〇万円程度の約束手形を作成し、被告と全く取引のない小川に順次これを交付し、小川はこれらの手形を他の金融業者に回して対価を得、浅井にはその都度相当額の謝礼金を贈与した。さらに浅井は昭和四六年九月ごろ、小川の指示に基づき、同様の方法で金額一、〇〇〇万円の約束手形三枚を作成し、これを同人に交付したが、この手形が流通している事実を被告の取締役に知られたため、同年一一月五日取締役酒井捷之助の詰問にあい、即日解雇を申渡されるとともに、被告に損害のないよう事後処理をすることを命ぜられた。よって浅井は即刻自己の保管書類をまとめてこれを社外に持出し、その一部を焼却したが、焼却しなかった書類の中に被告の手形用紙が何枚も残っており、さらにその中には、すでに浅井自身が小川に交付する目的で被告代表者の記名印と代表者印とを振出人欄に押捺したおいたものも、数枚存在した。右の事情を浅井から打明けられた小川は、被告代表者の記名押印のある手形用紙の利用を企て、浅井にその旨を話してこれを同人から受領した。本件手形の手形用紙は、浅井が一一月五日に被告本社事務室から持帰った、代表者の記名押印のある手形用紙のうちの一枚であって、これが同月一〇日ごろ小川の手に渡り、小川によって金額その他が記入されて本件手形として完成されたものである。一方被告は同年一二月中浅井に対し、同人を一一月五日付で解雇した旨の文書を送付した。以上のとおり認められ、これを左右するに足る証拠はない。右認定事実によれば、本件手形振出人欄の被告代表者の記名押印は被告代表者の意思に基づくものではなく、浅井によってほしいままにされていることが明らかであるから、被告に対して振出人の責任を問う原告の本訴請求は、その余の事実に触れるまでもなく失当というほかはない。
(損害賠償請求について)
被告の経理部長を勤めていた浅井寛が、在職中経理部事務室において、知人小川圀彦の営利の用に供する目的で、被告の約束手形用紙の振出人欄に被告代表者の記名押印を顕現し、これを退職の際社外に持出してその後小川に対し、小川がこれに他の手形要件を記載して本件手形を完成したことは、すでに認定したとおりである。そうして≪証拠省略≫によれば、被告の会社内部における支払手形振出の手順は次のとおりであった。すなわち、先ず経理部経理課長が毎月一定の日に支払計画書を作成し、経理部長及び経理担当取締役の決裁を得る。次に同課員がこれに基づいて約束手形用紙に金額、満期等を記入し、振出人欄に代表者名をゴム印で記載した上、経理部長を経て担当取締役に提出する。最後に同取締役が自己の保管する代表者印を代表者名の横に押捺するのが通常であるが、同取締役不在の折などは、代表者印を預かる経理部長が代って押印する。右のように認められる。したがって、浅井が本件手形の手形用紙に被告代表者の記名押印を顕現した行為は、外観上同人の職務範囲に属するといって差支ない。また、≪証拠省略≫によれば、浅井が一一月五日書類をまとめて社外へ持出す際に、被告の幹部が全くその検閲をしなかったことが認められる。
ところで、使用者が民法七一五条の責任を負うについては、被用者の行為がその事業の執行についてされていることを要するのであるが、本件において、本件手形の完成は浅井の退職後、しかも被告の被用者ではない小川によってされており、手形を流通に置いたのも後記のように小川の行為である。しかしながら、被告の被用者である浅井が、外観上その職務行為と認められる、手形用紙への代表者の記名押印をした上、不正使用の意思を共通にする小川にこれを交付し、しかも浅井がこれを社外へ持出すについて被告の監督が十分でなかったのであれば、小川への交付が浅井の退職後であっても、本件偽造は被告の事業の執行についてされたものと判断するのが、被害者保護を目的とする前記法条の趣旨に沿うゆえんである。したがって、被告は右偽造によって損害を被った者に対し、これを賠償すべき義務を負担する。
≪証拠省略≫によれば、本件手形は小川圀彦から三起工業株式会社へ割引のため交付され、三起工業から前商事と称する金融業者を経て、同業者である原告に渡り、原告は昭和四六年一一月一六日割引代金九、二九〇、五〇〇円を前商事と称する者に支払ったことが認められる。そうして、原告が被告から本件手形金の支払をうけられないことは先に判断したとおりであるので、原告は右割引代金相当額の損害を被ったものといわなければならない(原告が手形上の前者三起工業に対して請求権を有していても、現実に支払をうけていない限り、損害がないということはできない。)。
次に原告は、本件手形が適法に提出されたものであったならば、満期において手形金額一、〇〇〇万円の支払をうけられたはずであるから、割引代金との差額を、得べかりし利益の喪失額として賠償を求めるという。しかし不法行為による損害として賠償を求めうる得べかりし利益とは、不法行為(本件では手形振出の偽造)がなかったとすれば収得できたはずであるのに、不法行為があったために収得できなかった金銭等をいうのであって、不法行為が適法行為であったならば(手形が真正であったならば)収得できたはずの金銭等を含むものではない。後者を含むとすれば、被害者は不法行為に遭遇したことにより加害者から利益をうける結果となろう。本件で原告は、本件手形の割引依頼がなければ割引代金を出捐しなかっただけであって、ほかに収得できたはずの金銭等があるとは認められない。原告は、本件割引代金相当額を他へ流用すれば割引料相当の収益があがった如く主張するが、その事実を推認するに足る証拠はない。以上の理由で、原告の主張は採用しない。
被告は、原告が本件手形の取得に際して振出名義人である被告に振出の真否を照会しなかったことが過失であると主張する。右の事実関係は争のないところであるが、一般に約束手形を割引くに際し、振出人あるいは支払担当金融機関に照会することが、取得者に課せられた注意義務であるとは解せられない。もちろん特に不審な事情があれば別であるけれども、本件にあらわれた事情のうち、手形金額が小さくないことは一応警戒の理由となるであろうが、この点のみから原告の過失を肯定するのは困難である。また、手形受取人三起工業が、証人小川圀彦の証言するように金融ブローカーであったとしても、そのことを原告が承知していた事実は証拠上認められない。したがって被告の主張は採用しない。
以上説示のとおりであって、被告に対し、損害金九、二九〇、五〇〇円とこれに対する損害発生の翌日である昭和四六年一一月一七日から完済まで、年五分の遅延損害金の支払を求める原告の請求は正当であるが、その余は失当といわなければならない。
(要約)
原告の第一次請求(手形金請求)を認容した原手形判決は、上記判示と符合しないのでこれを取消し、原告の右請求を棄却する。原告の予備的請求(損害賠償請求)は前判示の範囲で認容し、その余を棄却する。訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を各適用する。よって主文のように判決する。
(裁判官 吉江清景)
<以下省略>